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11・26斎藤さん第3回公判の報告(京大ビラまき弾圧裁判)

裁判で次々明らかになる京大職員の罪状!

“私が政治弾圧の告訴状を書き、学生を警察に売り渡しました”―野田航多(通称「哀川職員」)

京大当局に対する学生の反撃と軌を一にする形で、全学連前委員長として京都大の学生運動に対する全国的な支援の最先頭にいた斎藤郁真さん(=左写真)のビラまき弾圧裁判が進んでいます。去る11月26日には第3回公判(野田職員=通称「哀川職員」への証人尋問)が行われました。次回は12月16日。京大生―全国学生―京都市民の連帯で京大当局の横暴を止める闘いとして、斎藤郁真さんの公判に引き続き集まってください!

前回(11月26日)の裁判報告

 斎藤郁真さん(全学連前委員長)の第3回公判が11月26日、京都地裁で行われました。今回の公判では、検察側証人として京大職員・野田航多(通称哀川職員)が出廷。野田は総務部企画主幹=岸下智之(通称マレーの虎)および学生課長瀧本健の部下として、学生弾圧の最前線に立ってきた人物の1人です。

 野田は証言の序盤で「事件」の概要を説明する際、「建物に侵入していた被告人」「偽同学会」などと事あるごとに学生の活動を罵倒。検察官・中村も「立ち入り禁止通告以降、被告人は何回立ち入ったか」など「立ち入り=犯罪」ありきの尋問を行い、公判は冒頭から傍聴人による弾劾の嵐に包まれました。証言によると、事件当日には瀧本以下7名の職員が3台のビデオカメラを持って北部構内を「巡回」。野田らは建物に入って斎藤さんを摘発したものの、(2018年10月に髙田暁典さんが窓口交渉に行ったときのように)その場で拘束・通報するのではなく「追い出した」といいます。職員が斎藤さんの身柄を取り押さえるわけでもなく、ただ単にビラを回収し、警察も1年近く経って逮捕したのは明らかに政治弾圧として周到に準備していたためです。

 この際に撮影された映像が「証拠」として再生されましたが、「証人の顔が映っている」として傍聴席に見える形では上映されませんでした。弾圧職員への抗議がしばしば「公務執行妨害」として立件されている以上、業務中の野田に「肖像権」などはなく、上映の不実施は公開裁判の原則に反した措置です。さらに検察が証人自身の「被害」を質問、野田の「本来の業務への支障」「ネット上に晒された」といった被害者面の答弁に怒りの声が集中しました。弁護人からの尋問では、野田が十数名「立ち入り禁止」措置の決裁書類や警察への告訴状(いずれも山極総長名義)を書いていたことも明らかになりました公判は、弾圧業務の意思決定に関与しながらそれに伴う「被害」を言い立てる職員の醜態を暴く場となりました。

大学・学問・学生の立場性が問われている

 京大でいま問題となっていることは何でしょうか。個別には学生寮の問題、立て看板規制の問題、処分の問題......と多岐にわたるように見えます。しかし、本質的に問われているのは、ただ一つ――学、学問であり学生の立場性です。

 学問・科学は人間の生活を物質的にも精神的にも豊かにすることに貢献してきました。しかし、使い方を誤れば戦争の道具となり、人々をより効率的に殺害することにも使われます。ハーバー・ボッシュの発明は、農業生産性を飛躍的に向上しつつも、同時に火薬の製造を容易にしました。また、京都大は大戦中、原爆開発中国大陸での非人道的な人体実験に大きく関与した負の歴史を持っています。

 だからこそ、学問・科学であり、それの発展に責任を負う大学という場、そして大学で学び学問をこれから背負っていく学生には、その立場性・倫理性が問われてますすなわち、人類の物質的・精神的発展に貢献するのか、それとも一部の大企業の金儲けや政府の軍事研究に協力するのかが、峻厳に問われているのです。

 「国立大学法人化」を一つの画期として、いまや大学運営には大企業がどんどん参画しています。そして「研究成果の社会への還元」という名の下で究成果の会社への提供が行われています。また、政府は大学支配を次々と強化し、研究費削減の一方軍事研究を推進・拡大するなどしています。

 学生寮や立て看板などは、直接的に軍事研究や金儲けのための大学・学問に反対するものと多くの学生の目には映らないと思います。しかし、「学生は大学内で自由に何かできる」「学生が自主的に何かを管理する」という文化こそが、実は学問を学問たらしめるために一番大切なものであり、軍事研究や金儲けのための大学を阻止する力です。だからこそ、京大当局は直接「政治的」「学生運動的」とは思えないようなものまで含めて、規制強化を進めているのです。

 立て看板、学生寮、NF短縮...... テーマは色々ですが、学生一人ひとりに「どう生きるか」が問われているのです。権力者の手先となって、京大職員やアイヒマン(※)のように「命令に従っただけ」と弁解しつつ、良心を他人に捧げる人生を送るのか。それとも、自らの良心と理性に従って、処分された学生と連帯して共に闘うのか。「処分覚悟で闘ってほしい」とは言えません。しかし、処分された学生と連帯し彼ら・彼女らを支える立場に立ってほしい――こうすべての京大生に呼びかけたいと思います

アドルフ・アイヒマン:ナチスのユダヤ人虐殺の責任者。家庭では良き父であり、ナチスイデオロギーの信奉者というよりは、ただの忠実で有能な官僚だった。ナチスの大虐殺がこのような「普通の人」によって進められたことが判明すると、世界に衝撃を与えた。