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10/20代議員会報告②大学を取り巻く情勢

(1)大学改革と新自由主義

 単位強化や授業料・寮費値上げ等を伴う大学改革の背景にあるのは、1980年代に台頭した新自由主義である。
 1981年に発足した臨時行政調査会(臨調)の答申で、大学政策に関する提言がいくつも行われている。1983年の第三次答申では、高等教育の費用負担について徹底した自己負担方針が展開されている。その下で、国立大の授業料は年々増加し、1971年には1万2千円であった年間授業料が、現在では53万5800円まで上がっている。さらに、今年から授業料の上限規制が緩和され、東工大や東京芸大では学費の値上げが行われている。
 臨調と同時期、中曽根政権下の1984年に設置された臨時教育審議会(臨教審)では、国立大学の特殊法人化について、初めて現実的な路線として議論された。そして「教育の自由化」を打ち出し、①個性重視、②自己責任、③自由化、④競争原理、⑤私学重視の方針を提言した。これらの内容は中曽根政権下ではほとんど実現できなかったが、このときに設置された大学審議会が、その後の大学改革をリードしていくこととなる。
 臨調や臨教審では「受益者負担」の原則に基づいた提言が行われている。1980年に出された学生寮に関する「新々寮4条件」も同じ原則に基づいている。このような自己負担・受益者負担の考え方は、新自由主義のイデオロギーであるということを確認したい。
 70年代の恐慌を背景に、公共事業の民営化=ビジネス化が進み、企業も能力主義・貧困自己責任論をてこに合理化・リストラを進めた。これが新自由主義政策である。その一環である大学改革は、大学そのものをビジネス化し、国家や企業が即戦力にできる「人材」や「研究成果」の輩出を強制するものである。成績評価や民間テストの導入を通じて、大学は純粋な教育研究のための機関から、優秀な学生を選別する「ふるい」に変わり、学生はその中で生き残るために必死で競争する。

大学の役割は民間企業と同じだ。原材料を仕入れ、加工して製品に仕上げ、卒業証書という保証書をつけ企業に出す。これが産学連携だ。(高橋宏/元首都大学東京理事長・元日本郵船副社長/2005年NPO法人「21世紀大学経営協会」総会にて)

 実際、2004年の国立大学法人化から現在にかけて、国からの運営費交付金が年率1%ずつ減らされ、2015年からは傾斜配分方式によって大学どうしの競争が促進されている。大学は研究費用の獲得が急務となり、産官学連携を典型として、国益や企業の金もうけのための研究機関へと変わっていく。2016年に発覚した京都大の米軍マネー受け取り問題は良い例である。

(2)学生を直撃する新自由主義

 大学法人化は学生一人ひとりの人生を直撃する。学費の値上げによって、授業料免除を受けるか、奨学金を受け取るかというのは現在の学生にとって当たり前のこととなった。授業料免除や奨学金を維持するためには一定の成績を収めなければならないし、奨学金を返済するためには一定の収入を得られるキャリアに就職できるよう就活に専念しなければならない。さらに、出席点重視、GPAのような評価制度などを通じて「授業に出るのは当たり前」「4年で卒業して当たり前」といったイデオロギーを注入することで、学生を単位取得・就職の競争に駆り立てていく。このようにして大学の就職予備校化は進行していく。
 一方、新自由主義による労働者の貧困は親から学生への仕送り減に直結し、生活費を稼ぐためにアルバイトをしなければならないなど、学生の時間が奪われている。サークルなどで他の学生と交流する機会はなくなり、学生は個々に分断されていく。そこに共同性が生まれる余地はなく、学生は競争への参加を強制される。
 これらは大学改革の副作用ではなく、主作用である。「大学の役割は民間企業と同じだ」というイデオロギーは、学生を主体的に学を営む存在から「教育」サービスの消費者へと貶める。これによって学生は自治や団結といった発想すら奪われ、孤立させられながらも声を上げる学生には「嫌なら大学をやめればいい」という論理が待ち構えるのである。

(3)大学改革のゴールは改憲

 しかし、大学法人や学生がさらされているところの「競争社会」そのものも、安泰なものではない。そもそも政府が新自由主義に突き進むのは、経済危機のために労働者を生かすことができないからだ。
 安倍政権は経済危機を侵略戦争で突破すべく、改憲準備と排外主義キャンペーンに突進している。自民党改憲案は自衛隊明記と緊急事態条項を軸に戦時体制を可能とするほか、「教育の充実」=条件付きの「学費無償化」を盛り込み大学改革を完成させるものである。改憲を許せば、第二次世界大戦の時と同じ大学の戦争拠点化が一気に進行する。
 大学改革の歴史として、国立大学の独立行政法人化が学生・教員の猛反発に遭い、「国立大学法人」の新設という妥協案が出されたということがある。この例からもわかるように、改憲-大学改革は学生自治を殲滅することなしには貫徹できないのである。

(4)焦点化する京大処分撤回闘争

 国策としての大学改革は、全国の大学で立て看板規制などを同時発生させている。その中でも、最も攻撃が激化しているのは京大だ。それは、京大が運動の側の震源地だからである。目下、京大は学生の置きビラなどの学生文化が生き残る「最後のオアシス」であるが、放っておけば全国に波及してしまう。2018年以降、各地大学に林立した「タテカン同好会」がその象徴である。支配者・学生の双方にとって、京大での勝利なくして全国での勝利は不可能なのである。
 闘争領域について言えば、(2)で述べたような背景は懲戒処分の深刻さ、攻撃力を増幅する。第一に、処分歴は求人側にとって「訳あり」人材のわかりやすいラベルであり、就職に不利にはたらく可能性がある。第二に、停学期間中は在学期間にカウントされず卒業が遅れる一方で、授業料だけは満額納めなければならない。第三に、放学になれば学歴には「大学入学」すら記されない。競争社会において、懲戒処分は当該にとってとんでもない攻撃であると同時に、4年での卒業に生活のかかった学生にとってこの上ない見せしめとなるのだ。だから、処分とその基準緩和は管理強化の切り札であり、処分撤回闘争は運動爆発の要なのである。 

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